前日に串に刺して、塩麹に漬けておいた。
そういえば、味見してなかったな。
かぼちゃのいとこ煮
砂糖なし、甘麹と蜂蜜を使ってみた。
久々の海苔巻き
息子はあまり好きじゃないぽい
酢飯に青柚子を絞って、皮を小さく刻んで赤紫蘇も入れた。
香りが高くて美味しかったな。
中身は梅干しと卵焼き
完食でした*✩‧₊˚
あと1日で施設さんしばらくのおやすみ
農家さんは最後かな。
里芋やじゃがいも、なすも買ってきた。
ガパオライスを作る予定があってピーマンで代用する予定が
パプリカがあった
農家さん、今年は暑さでタネを受けても発芽しなくて
人参がやっとだって〜
人参や牛蒡が値上がりするかもって
大根もカブもなんとか発芽したらしい。
土の表面が50度くらいあるから、発芽が難しいんだって〜
どこの農家さんも大変だと思うってご主人が言ってた。
あと1日
あっという間に9月の下旬になり
10月からろう重複の施設さんをお休みすることにした。
完全にやめるという感じでもないけど・・・
再開するきっかけもわかんないかな。
卒業後からずっと通ってきて、手話のある世界と繋がることの大切さを実感しているからこそ
頑張って通ってきた。
ろう重複の施設というのは、少なくてね
県内には2か所しかない。
聾学校も2か所しかない。
通いたいなら、遠くから通うしかない。
そうやって3歳の時に初めて聾学校に入学して、小学部にもそのまま上がる予定が
知的発達の遅れが出てきて、養護学校(現:特別支援学校)を進められた。
この時ショックだったけど
地域に暮らすということは、地域の中でサポートを受けるという大切さも知り
今は、地域の中でいろいろな人との出会いが増えた。
近所にもこんなにも障がいのある人がいるということを知り
知り合いのママ友ができた。
バスでの登校になるので、バス停にはママたちが集うので
先輩ママに悩みを相談しやすくもなった。
聾学校とは全く違う世界観があった。
特別支援学校に通っても、聾学校に月に1度通ってはいた。
そこで、卒業の時にろう重複の施設と知的障害の施設と二つ通うことになった。
通常、2つを通うことは学校は進めない。
戸惑う子が多いから
息子は人が好きなので、2つの場所に通うことを楽しんでいた。
あれから7年
同級生の中では、すでに卒業後から違う施設に通っている子が多い中
息子はずっと同じところで、自分の場所を作ってきたんだよね。
色々が重なり、今回ろう重複の施設さんをおやすみして
市内の知的障害の施設に週5で通うことになった。
21年間、ずっと朝の送迎をしてきた。
朝、学校へ送って先生に直接息子を預ける
バス停に連れて行き、バスに乗せて添乗員さんにお願いする
施設に送って、職員さんに息子を預ける
そうやって、手から手へ息子を預けてきた。
朝、玄関から「行ってきま〜す」って一人で出て行くことはない。
「ただいま〜」って一人で玄関を開けて帰ってくることはできない。
市内の施設さんは、家の敷地内にある駐車場まで送迎してくれる
朝、下まで降りて行くだけ
帰りも、下まで降りて行くだけ
21年半、朝のバタバタ頑張ったな。
息子のお世話をして、持ち物を準備して連絡帳を書いて
ご飯を食べさせて着替えをさせて、トイレに行くように促して
時間に追われる
その間に、朝ごはんの準備
私も家を出るので自分の準備をして
化粧をして着替えて
間に自分のこともするので、朝ごはんは自分は食べられる時だけ
お弁当のある時は、よりバタバタ。
そして、自分の薬を飲み忘れるという・・・
単に送迎が終わるんじゃない
21年半の送迎が終わる。
結構大きな変化だよね。
朝の時間に余裕ができるんだろうな
1時間くらい起きるのを遅くしてもいいくらいかも。
それだけの変化がこの決断によってある。
時間を作るということは
大きく軌道を変える必要がある
私の変化と決断だけど
息子が人生で影響を受けたように見えるけれど
実は、息子の方が先に、変化の時期が見えていた。
どんな風に変わるのかなと考えていたけど
こんな風に変化が起きてきたんだな〜って
改めて思った。
3歳からの学校生活に始まり21年半
長いな
頑張ったな
誰にも理解されないけれど
必死に頑張ってきたんだな。
自分を褒めてあげよう
お疲れ様。