ここ何日か、星がとっっても綺麗。
悩みを打ち明けたとき
"私もさあ"
と、自分の話に置き換えられてしまうと
励みになるところもあるけれど
本当に話したかった気持ちが出せないままで
"あなたの辛さは、まだ全然大したことないよ"
と、言われている感覚になることもあります。
自分が何かを話すときは
聞き手に負担をかけないように
本当の悩みが10だとしたら、3くらいの軽さになるようにオブラートに包んでみたり、言い換えてみたり
いつも相手の顔色を伺ってしまい
本当の自分の気持ちに、なかなか辿り着けません。
本音を話すのは、とても怖い。
言葉にするのも、怖い。
その本音が本音なのかも、話してみないと分からない時もあります。
思ってることが
思ってるように言葉にできてるのかも
どう伝わるのかも怖い。
この頃は
自分のことを話すより
相手に、話したいことをたくさん話してもらって、気持ちが楽になってもらえることが嬉しい、と思うことが増えてきたなかで
自分のことも少し
話せる場所ができて
恐る恐る言葉を選んで伝えてみるうちに
それをちゃんと受け取ってもらえて
心で聴いてもらえてるのを感じて
少しずつ自分の本音に
正直になれるようになりました。
気づかない内に
誰かに負担をかけてたり
傷つけてたり、悩ませてたり
それでも周りにいてくれる人は
静かにそれを受け止めて許してくれている。
その時々で許す、許される、が
お互いにあって、一緒に過ごせる。
"自分はまだまだ頑張れてない
自分が迷惑をかけてしまったから。"
いつもそう考えて
なんとかしよう、なんとかしようと
思ってきましたが
"背負ってきたものが、たくさんあるね"
と、言ってもらった時に、涙が出て
とっても気持ちが軽くなりました。
"自分の幸せをちゃんと選んでいいんだよ"
と言われた時に
自分の幸せが何か、も、今はよくわかりません。
ちゃんとご飯を食べて、不自由なく働いて
すこし本を読んで、音楽を聴いて、すこし誰かの力になって
それで十分。
人と会う場に出るとき
最近どう、と言われるとき
本当の現状を話すと
大変だね、になるのは嫌で
なるべく前向きな話を努めて選ぶ。
気づいたら、ちょっと苦しくなっていて
歳を重ねるごとに人と会うのが
だんだん億劫な気持ちになっていました。
私の十分、が
相手の目線で不十分に見られると
ペースが乱れてしまう。
ポジティブに満ち溢れている人は
時々少し苦手です。
ネガティブなところを持っている人、乗り越えてきた人は、とってもあったかいです。
その歳、タイミングで、経験したことが
その人にとっての、今の許容範囲で
感謝の気持ちが湧いてくるまで
だいぶ時間がたってしまうこともあって
でも、気づいた時に
なるべく伝えられる人には
伝えたいと思っています。
"億劫な気持ち"
が
さらに歳を重ねるごとに
少し薄まってきて
感謝に気づくのにかかる時間も早まってきたように、感じます。なんとなく。
今の自分の器でできることが、前よりもひとつずつ増えるように、優しく丁寧できるように
去年よりも、今の方が
大丈夫、大丈夫、と思えています。
又吉さんの、夜を乗り越える
を読み終わって
又吉さんの微妙な、絶妙な感覚の表現の仕方に
今までもどかしかったものが
全部解かれる感覚でした。
もっと、この方が書く文と、読む本に触れてみたいなあと思いました。
いい本でした。
とても綱渡り状態の我が家。
私には
今まで許されてきた分のお返しが
まだまだ溜まっているので
充電は、満タンです☺︎、
大丈夫、大丈夫。
いびつなだんご。
今回はちょっと失敗。