少し前のことだが、僕は菠薐草を買ってきた。
寒くなってくると菠薐草が美味い。そして安くなってくる。スーパーの野菜売り場を見れば四季を問わずに菠薐草が売られているが、暖かな間に僕がそれを食べたくなることはなく、寒くなってきた途端に菠薐草が美味く見える。
夏場の菠薐草と冬場のものを食べ比べたことはないので、これは僕の経験と思い込みによって培われた「菠薐草感」に過ぎないのだけど…。
買ってきたばかりの菠薐草は「常夜鍋」にして食べた。僕の「菠薐草消費における献立シェア」の8割を占める圧倒的な人気メニューだ(僕の中での人気献立なだけだが…)。もしかしたら9割を超えているかも知れない(おっさんの菠薐草の食べ方シェアなど、多くに方にとってはどうでもいいことだろうけど…)。
毎年、暑さを感じなくなってくると酒の肴に湯豆腐を食べるようになる。子供の頃には「本当にどうでもいい食物の代表格」だった湯豆腐が、おっさんになると好物の一つに躍り出てくることも不思議に思うが、そんな食物は多い。
そして、寒さを感じるようになると湯豆腐をほどほどに食べた後に豚肉と菠薐草を加えて、熱々のそいつに柑橘を絞って醤油をかけて食べるようになる。この「常夜鍋」のことは過去にもこのブログに書いているのだが、その名の通りに「毎晩でも食べたくなるほど飽きのこない鍋」なのだな…と思うほど美味しい。
…って、分かった食通のようなことを書いてみたが、実は僕は「そんなに連日コレを食べたい!」なんて思わない。その理由が今回の文章のタイトルにした通り「歯がキュキュッとする」からだ。
これは別に「常夜鍋」でなくとも自宅で菠薐草を食べるとこの症状に陥ることであるし、このことは子供の頃から感じていた。
ガキの頃なんて「歯がキュキュッとする問題」が菠薐草由来だなんて思いもしないから「親の言うことを無視して、歯磨きを怠っていた罰が当たったのか?」とか「お菓子を食べるのを控えた方がいいのだろうか?」など、ガキなりに真剣に悩んだこと思い出される…。
これが「菠薐草に含まれる物質と人の口内環境における化学変化」によるものだと知ったのは、すっかりとおっさんになってから数年前にネットで調べて知った次第…。だからといって特に手を打つこともなく、こうしたメカニズムを知りながらも特にその対策は取らずに、この数年「歯がキュキュッとなるのは嫌だけど、やっぱり常夜鍋は美味いなあ…(バクバク…)」なんて本当に馬鹿っぽく、寒い時期の菠薐草に舌鼓を打っていた。
さて、説明が長くなったが、理由を突き止めているのにそれに対する手を打たない…なんて、駄目な政治とか企業体のスタイルなので、そりゃイカン!と先週は僕なりに対応してみた。
この日は無精をして、台所のガスコンロで豆腐を温めながら、豆腐を食べたくなるとコンロの傍まで歩き、熱々の豆腐を呑水によそいながら酒を飲む…という夜だったのだが、豆腐の後に常夜鍋に移る前に菠薐草を湯掻いてから鍋に加えた。
僕の口内環境で不快な気持ちをもたらす元凶は「菠薐草に含まれるシュウ酸」だということ。これを湯掻くことによって取り除こうという作戦である。
菠薐草を湯掻いた残り汁は薄黄緑色になっていた。ここには僕が取り除きたいシュウ酸も含まれているのだろうけど、肝心の菠薐草の甘みやら旨味も流れ出てしまっているような気がして、本当に勿体ないように思った。
おそらく「仁義なき戦い」での台詞だったかと思うのだけど、「鍋で色々なものを煮込んで、皆が具材を食べた後でワシャ、最後に残った一番美味い出汁を全部飲んでやりますけえのう…」みたいな人生訓を若い頃に知ってから、それが全く料理を美味く作る理屈とは全く関係ない台詞だとしても、僕は「とにかく食材の持つ成分を逃がしたくない。それこそ『ワシが全部飲むけえのう…』というスタンス」を確立させてしまっているのだ。
そんな「勿体ない精神」というか、僕のセコい根性が発揮された「決して茹で過ぎていなくて、旨味も栄養価も損なわれていなさそうな菠薐草」を加えた常夜鍋は割と美味しかった。なんだか茹で過ぎると菠薐草の成分が抜け出るような気がして、軽く茹でるに留めておいたのだ。
これを一口食べた後、好物の常夜鍋は「従来のものと変わらぬキュキュッと感」を僕にもたらした。
もっと茹でなくては駄目なのか?…でも、そんなに茹でたら菠薐草の栄養素も旨味も全て溶け出してしまい「菠薐草を食べたというアリバイ作り」のような訳の分からんモノを食べることになるのではないか?
そんなことを思いながらも「湯掻いたことによりと旨味が30%くらいは抜けてしまったような菠薐草の常夜鍋」を、歯がキュキュッとした状態で美味しく食べ進めた。