一昨日の朝、出勤前に朝刊を読んでいたら僕の目を引く記事があった。
田舎町の沼津でも比較的、余所からの観光客がやって来る沼津港での唐墨作りの模様である。
この唐墨屋は港の入り口あたりにあるので「ここに唐墨が干されている様子」は僕も何度か見掛けたことがあった。
…そうか、そうか。もう唐墨作りの時期なんだよな…。そんなことを思ったが、僕は「例年のように作ってみた唐墨を食べることは殆どなく、この夏には年代物のストック唐墨を処理するつもりで、沢山の唐墨ストックをフードプロセッサーで砕いて『唐墨バター』にした男」である。
その唐墨バターも作ったばかりの頃は面白がって食べてみたけど、結局そんなに食べず瓶詰めにしたそいつは未だに僕の冷蔵庫でカチカチになっている。まあ、僕は唐墨をそんなに好きではないのだろう…。黒澤明の作品は好きだが、食の好みはやはり人それぞれなのだ。
そんな有様だから「この記事は風物詩の紹介…。僕の食生活には関係ないことだ…」と思いながら出勤した。
先週の金曜日はとにかくやることが盛り沢山の日で、朝早くから客先をグルグルと回っていた。そんな中で静岡市のお客のところにも行ったのだが、そんな導線上にある魚屋で「安価なボラの卵」を見つけてしまった。
数時間前には「ボラと僕が接することもこの先そんなにない!」と考えていたのに、そして「僕は唐墨を特に好きではない!」と改めて認識してきたのに「この値段のものを買わないことが勿体ない!」と僕の好みを全く無視した「セコさ120%」の意地汚さが僕を支配し、それを買ってきてしまった。
唐墨を買った金曜日、夜は客先との忘年会があり、そしてその翌日である昨日は「飲み疲れ」のために一日ダラダラ過ごしていたので、今朝は少し焦りながらこいつらを塩漬けにした。
僕はこれからしばらくは「塩漬けボラ卵巣」のことを気に掛けながら、唐墨作りに勤しむことだろう。特に食べる予定もなければ、そんなに好きでもないのに…。
「無駄を省いたシンプルな生活」というものに頭では憧れるのだけど、人の意地汚さなんてものはなかなか変わらない…。ケチ臭いことを主張しながらケチ臭い生活をすることは大好きなクセに、自分でもよく分からない欲望に任せて無駄遣いをする性質というのは、変えられないものなのだ…。