お弁当あと6回 農家さんへ寄れるは3回(雨天はやっていない)
思い切った決断を先日しました。
かなりというか、
やばいくらいに限界に達していたストレス
マジで本気で!何とかしないとヤバい!!
って思った
このままじゃ、何も解決しなくて
同じサイクルで時間だけ過ぎて
ストレスは永遠と続く
脱出しないと、自分が壊れる
そう思ってしまった。
そして、この流れを断ち切るために
負担になっていることを止める決断をした
もちろん迷って堂々巡りして
決め切れない
これも思考がぐるぐるして出口が見えない
だけど、何もしなければ
ストレスも永遠と続く
そう思ったので、今できることを
今できる決断でする必要があるって思った。
そして
週2で通っている施設さん
しばらくのお休み。とした。
時期は考えていないけれど
3月末までは、休む予定
そう簡単に状況が変わるわけではない
送迎、お弁当
それがどうのではないんだけど
とにかく、一人で全部を背負っているために
全く自分の時間が取れなくてストレス
時計ばかり見て、時間ばかり気にして生活
何時までにこれをやって
そう段取りをつけての生活
毎日の行動も準備も全部二人分
だから、時間も朝からかかってしまう。
周りには見えないし、想像もされないけれど
家を出るまでに、どれだけ大変か・・・
単に、息子を送り出して
いない時間を過ごす方が楽という人もいる
けれど、障害の個性によって全然違うから
1〜2歳の子供のように全部をお世話するならまだ楽かもしれない
そこに、自分の意思とある程度自分のことができて動ける
だけど、耳が聞こえないので
声かけだけで、静止しないので
家の中で、追いかけっこのようにもなる
これが、1日の中で大半
すぐにふざけるから。。。
遊んでもらっている気になって調子に乗る息子
体力もきついわけで、、、
お風呂入れるのもしんどいわけで。。。
落ち着いてる時はいいけど
多動の時期は、特にしんどい。
施設長さんに話したら、想像から理解をしてくれて
お母さんを第一にって言ってもらった。
グループホームや施設利用に関しても勧められたけど
この後の人生で、私が先に亡くなると思うから
そうなった時からは、ずっと自由がない生活
まだ25年、もうちょっと家で自由に生活させてあげたい。
そう伝えた。
去年亡くなったお母さんのお子さんが
施設長さんに
必死で「家に帰りたい」と訴えていたのを思い出す。
だから、一緒にいられるうちは
方法を変えながらも、一緒に暮らしたいって思う。
だから、今回はもうどうにかしないといけないと思った。
7年通った、頑張ったよ。
遠いのに通いたかった理由は、
全員聴覚障害者の施設だから
当たり前の言語が手話。
手話が使えないことの方が、疎外感を感じるし
手話を覚えないと、利用者さんの誰とも意思疎通が取れない
だから、新しく入った職員さんは皆んな手話を勉強する
手話が当たり前の世界なんだ。
だから、
また、通えるように整えたいって思う。
手話は息子にとっても必要だと思うから・・・
でも、もう一つの市内の施設さんにも手話が使える人がいる
そして、職員さんも皆んな少しの手話を使ってくれる
手話を使えば、息子に伝わることが多いって理解してくれているからだと思う。
で、空いた火曜日と水曜日
市内の施設さんに利用できるか聞いている
ま、無理なら家にいるのもありかな。
それじゃ、自分の時間がなくなって逆かも?
そう思うけど、
縛られた時間がないという意味では、それもありかも。って思う
利用できる日は利用して、
それは流れに任せよう。
今は、決断できたことで気持ちも楽になっている。
だから、お弁当は後6回
農家さんへいけるのも後3回なんだ。
そして、そして
勉強中の講座
いつもならば、偶数月に課題を提出していたのに
まだ、できていない。
集中しないとできないので、、、難しい。
内容も難しけれど
どこの時間を削ろうとも、勉強の時間が捻出できない。
もーーーー
ってなっていた2日前まで
やっと、取り掛かれた。
と思ったら結構、サクサク進んでいる。
気持ちに余裕ができると、向き合い方が違うのかもって思う。
ある程度出来上がったので、今は見直ししてる。
他の提出物を仕上げたら出せそう。
10日までには出したかったんだよね〜
今回もA410枚ほど書き上げた( ´ㅁ`; )頑張ったよ
褒めてあげよ〜〜〜♡w
よく頑張った!!!