先日、久しぶりにプライベートで外の店で酒を飲んだ。土曜日のことだ。
この日は朝から雑炊だったか粥を食べてから、近くのカラオケ屋にラッパの練習に出掛けた。
トランペットという楽器は便利なもので、ベルの先にミュート(消音器)をつければ、今の僕の生活環境では真夜中でも朝からでも周囲を気にすることなくラッパを練習することが出来る。しかし、ミュートをつけると吹奏感が大きく変わるので、そもそも自分が出している音が「腰の入ったしっかりした音」になっているのか見誤ることが増えるので、週に一度くらいはミュートを用いずに練習をしたいと考えてのカラオケ屋通いである。
昼過ぎには自宅に戻り、「年末大掃除の分割分」をこなしてから夕方には熱い風呂に浸かって、早いうちから酒を飲んでいた。
この日は自宅から近くにある店で「ジャズのセッション」が行なわれることを知っていたのだけど、外で酒を飲めばそれはそれで金もかかるし、わざわざそれを見に行くともなかろう…なんて思って、自宅で早くに飲み始めた次第。
しかし、「そんな、いつもと変わらないことばかりしていても何の変化も僕の生活には訪れないだろう…」なんて思いが湧いてきて、19時半頃から出掛けたのだった。
蕎麦焼酎のボトルを頼み、突き出しとして出てきたおでんをつつきながら、店に集まったジャズメンの演奏を聴く。
セッションに参加する人たちはそのチャージ(セッション参加料金)も取られるが、ただの見物客である僕には特にチャージは課されない。しかし、ウチで飲めば5分の1くらいの料金で酒を飲むことが出来るのだから、充分にミュージックチャージまで払ったような気がする。
そんなことを思いながら、音楽と酒を楽しんでいたら、隣席のおじさん(僕より年上と思う…)から、葉巻を勧められた。
葉巻をフカす…なんて何年ぶりのことだろう。15年くらい前に「シガーバー」が流行っていた時に僕にとっては分不相応なそんな店でブカブカと煙を吐いてみたこともあった。
「ジャズの流れる店で酒を飲み、そこの客とやりとりして紫煙を燻らす…」20代の僕が憧れていた生活のように思い出されるが、それは50になった今の僕には「昔、憧れたような眩しさ」を感じ取ることが出来ないものだった。
何年か前に会ったことのある人から聞いた「人は年を取るとなんでも面倒臭くなってくる。若い頃にはあれほど楽しみだったお洒落とか恋愛とかも…。それが老化なのだろうと思う…」ということを、改めて感じさせられた。僕は着実に老化しているのだろう。
しかし、この夜は「残りを気にせずに飲んだボトルの酒」と「隣席の葉巻おじさんの厚かましさ」が僕を後ろ押した結果、セッション参加の諸氏に「次のセッションには僕も参加します!」との宣言をしてから帰宅した。
慣れぬことをすると「老化による面倒臭さ」を感じることもあるが、生活への変化はやってくるものだ。