11月に飽食の生活が続き、体調が思わしくなかったので「飯を粥に切り替える生活」を始めた。
これは慣れてくるとなかなか快適なもので、その後も続いている…と言っても延長期間はまだ一週間くらいなのだけど…。
昼食はそこらのスーパーで弁当を買って食べたりしているから「銀シャリ」を絶っている訳ではないのだけど、ウチでは久しく飯を炊いていない。
消化に良い粥を食べるようになると胃腸が快適になり、その「快適さの維持・継続」を求めるようになるから「夜に酒を飲んだあとにメシやら麺を食べること」も滅多になくなった。
そうすると朝から胃がもたれているということもなくなるので、長年食べる習慣のなかった朝食を摂るようになった。
すっかりと寒くなってきた朝に、空腹を感じるから台所に立つようになり、粥を炊いたり鍋に残っている粥を温めたり、それらの菜となる簡単なおかずを皿に移したりしている時間も楽しいものだ。
炊きたての銀シャリをバクバクとかき込んで感じる美味しさに未練がない訳ではないが、粗末なオカズであっても多少の塩気があるものなら「粥の菜」としてはとても美味しく感じるので、生臭生活にどっぷりと浸かっている僕の味覚も多少は鋭くなってきているような気すらする。
2週間くらい前に漬けた蕪の漬物もまだ成長途中ではあるのだけど、粥とともに美味しくいただいている。
そういえば、一週間くらい前にスーパーで半額で売られていたので買っていた合挽き肉もいよいよ傷んできそうだったので佃煮にした。そもそも挽肉というものをそんなに好きではないのだけど、これは半額だったので買っていたものだ。
元々、そんなに好きではないものだし、スーパーで売られている挽肉なんて「何か難のある肉をグシャグシャにして誤魔化せるように加工して消費者に売りつけているだけのもの」だと思っているが、やはりこの肉も美味しいものではなかった。
牛肉の切り落としがグラム300円で売られていて、豚肉の切り落としが150円で売られているような店で合挽肉がグラム100円で売られていたりする。値段は「仮」のものであるが、そんな感じの価格設定は実際に目にする。
そんな安さに惹かれて(そして僕は「更なる半額札」の魅力に惹かれてしまい…)買ったきたりするのだけど、牛肉と豚肉のバランスをどう調整したところで「普通の肉を使っていた」ならば、そんな価格で売り出せることがおかしい。どんな肉を使っているのだろう…とは「モノを考えれば」ガキでも不思議に思うことだ。
「そんなに思うなら挽肉を買わなけりゃいいじゃん…」と思う人もいるだろう。僕もそう思う。しかし、買ってしまったものは、捨てるのも勿体ないから生姜と胡麻油で炒めてみたが、やはり不味いものだったので、出汁やら山椒を足して佃煮として濃い味付けをした。
こいつを瓶に詰めた手製瓶詰を菜にこの数日は粥を食べている。昨日、一昨日と2日続けてこれを食べたらやっぱりうんざりしてきたのだけど、醤油で煮染めてあるものだから日持ちはするだろう。
粥を食べ始めてから「大凡片付けることが出来た貰い物の瓶詰めの瓶」もこうしたところで活きている。
こうした下らんオカズであっても、シンプルな粥と一緒に啜り込むと、なんだか「上等なオカズ」を食べているような気持ちなって嬉しい。