昨日の昼、久しぶりに表でラーメンを食べた。
11月の上旬に取引先の若者と一緒にラーメンを食べに行って以来のはずだから一月半ぶりくらいか…。11月にもラーメンを食べ、12月にも食べ、「久しぶり」なんて言ってみても1ヶ月には一度という結構な頻度で外でラーメンを食べているのだから「特に久しぶり」なことでもなかった。
静岡にはラーメンが人気の蕎麦屋が数軒ある。昨日の店は「静岡ラーメン蕎麦屋」の代表格のようなところで、蕎麦汁がスープに用いられているのかどうか知らないが、鶏ガラの出汁と蕎麦汁が混ざったような柔らかな味わいのスープにめちゃめちゃ細い麺の入った古典的な醤油ラーメンだ。
頼むとすぐに出てくる熱々のラーメンを啜りながら、その滋味深さを楽しんだ。若い頃(…と言っても10年くらい前まで)はすっきりとしたラーメンの美味しさが分からなかった。「ギトギトしていないとラーメンではない」ようにすら思っていた。今では「そうしたストロングスタイルのラーメン」を美味しいと感じなくなった。
これは胃腸の劣化もあるのだろう。人の身体は老いるものなのだから仕方ない。しかし「味覚の鋭化、成長」によってもたらされた「嗜好の変化」のようにも思っている。僕の味覚はより繊細なものを感じ取れるように日々成長を続けている。
スタッフとは呼ばずに「店員さん」と呼ぶべき人たちの動きもキビキビしていて、そんな快いテンポの中で食べるラーメンは美味しかった。
「鶏ガラ」というと「科学調味料の粉末の鶏ガラスープのもと」のことをそう呼ぶ人がいる。そして「その粉末をおにぎりに混ぜ込むと驚くほど美味い!」なんていう馬鹿みたいなレシピも目にしたことがある。
ここのスープにはそんな粉は使われていないで欲しいな…。でも、ラーメン屋で食べるラーメンのほとんどが化学的な白い粉で味付けされているものらしいし、あの味こそが町中華の美味さなのだ!との意見を見たこともある。まあ、そもそもラーメンという食物自体が健康のためにではなく、楽しみのために食べるものだし…。
そんなことを考えながらおつゆを飲んでいると、途中から掟ポルシェのことが浮かんできて、後半はラーメンのことではなく「掟ポルシェの独自な持論」のことばかりを考えながらラーメンを食べ終えた。
食後の感想は「美味しかった」ではなく「面白かった」。