一週間前の金曜日の夜、僕はおでんを作っていた。翌日、我が家に人を招いての会食があったので「それに向けた饗し料理」の一つとしておでんを作っていたのだ。
「おでん」というのは実に庶民的な食物なのだが、実際に僕がおでんを食べる機会というのも、沼津に越して来てからは随分と減った。
特に高価なものではないが、自分のウチでおでんを作ろうと思うとやはりそれなりの量を作りたくなるのだけど、独りで食べる食卓に多量のおでんがあっても飽きるばかりなので「僕一人のおでん欲」を満たすためにそいつを作ろうとは思わない。多分、今回2年ぶりにおでんを作ったのではないだろうか…。
そんな訳でしばらく遠ざかっていたおでんと実に密接な週の頭を過ごしていた。単に沢山作ったおでんが残ってしまっていたので、とにかくそれを食べ続ける数日だったのだけど…。
子供の頃の僕の実家では冬場になると一月とか二月に一度はおでんが食卓に出てきたように思う。小さな頃はそれを特に美味しいとも思っていなかった。嫌いでもないが、好きだとも感じていなかったように思う。
小学校の高学年とか中学生になる頃にはおでんを割と好きになっていたような記憶もあるが、おでんという食物をちゃんと好きだと認識したのは大学生になって酒を飲むようになってからのことのように捉えている。
大学生になると僕は関西で過ごしていたこともあり「関東炊き(かんとだき)」という名称でおでんに接することもあった。「なんだよ『かんとだき』って!単なるおでんじゃねえか…。」と思っていたことも覚えている。
関西に住む僕がその当時に食べるものは「かんとだき」とか「おでん」とか、その呼び名はまちまちだったけど、大根や玉子や練物という特に高価なネタ(関西らしいコロとかサエズリ)など入っていない安価なツマミの代表格のようなやつだったから、やはり「安くて食べ応えのある食物」としておでんのことを好きだった。
学生の頃によく行っていた居酒屋に入ると、まずはおでんとアラ炊きとポテトフライを頼んで、焼酎のボトルをお湯割りにして飲む…という塩梅だった。これがとにかく安い飲み方だった。
ちゃんとした拘りの出汁などではなくて、化学調味料たっぷりの麺つゆのようなもので炊いただけ…というようなものだったのだろうと思うのだが、僕は仲間とともに飽きることなくおでんを注文し続けていた。
350円くらいで5つくらいのネタが少し深い皿に盛られたもの。大根、こんにゃく、玉子、練物と昆布など…。大したものでもないのに「玉子は誰が食べるか?」ということ揉めたりしていたから、貧乏おでんのネタのヒエラルキーのトップに玉子がいたのだと思う。
僕ら貧乏学生集団みたいなばかりが集まるような店だったから、きっとおでんは皆が頼む人気メニューだったのだろう。僕の記憶の中には「しっかりと煮しめられた茶色くなった玉子」など出てきたことはない。いつもの割と白い茹で卵をおでんの鍋に加えたばかりのような大した味も付いていない玉子だった。
食について多少はうるさいこともいう大人になってから思うと「なぜあんなものを喜んでいたのだろう?」とも思う。350円分のおでんネタをスーパーで買えば3人分くらいは食べることが出来たはずだし、そのほうが味の染みた玉子に接することも出来ただろう。当時の僕は「玉子は10個で98円」のものを買い続けていたと思う。