暇なのでブログが捗ります。
50代独身元無職のおでけけです。
同世代の方のブログを読むと
「高齢の親」の話題は必ず出るもの。
みんなそれぞれの事情はあれど、
おでけけ的には
まだどちらかでも親が生きて、
一緒に日常を感じられることに
羨ましいなあと思うのです。
と同時に
母が亡くなった時のこと
やっと死んでくれた
やっと解放された
と心から安堵したこと。
悲しみよりも
心がほっとしたことの方が
大きかったことも思い出すのです。
最愛の母が死んで良かったと
こんな気持ちを経験するとは
20代、30代のわたしには
想像もつかなかった頃。
認知症の母のこと
わたしは殴ってしまいました。
今までたまりにたまった
どす黒いものがどうやっても
抑えきれず、止まらなかった。
母も気が強い人なので
わたしに負けじと抵抗しましたが
なんで
わたし
なんにも
悪いことしてないのに。
と泣きじゃくる母を家に置き、
たまらず家を飛び出しました。
母の叫びはわたしの心に
ずしんとのしかかり
なんて自分はひどい娘なのだと
その罪悪感に潰れそうでした。
二日後、母は高熱を出し
意識不明で救急搬送され病院へ。
一時は意識を取り戻して
父を呼んでいたそうですが、
その後容体が急変。。
感染症から一時期回復したのに、
いつまでも治らず変だと
よくよく検査して判明したのは
心臓の弁に菌が付着していて、
もう手術をする体力もない。
母の心臓がいつまで持つか。
という状態になっていました。
なにも悪いことをしてない母の
最後の姿は、点滴でパンパンに
浮腫んで寝てる姿でした。
やっと死んでくれた
やっと解放された
心から安堵したことを覚えています。
もう認知症で
変わってしまった母を見て
どす黒い気持ちを
抱くこともないから。
もう大好きな母を
憎むことも終わるから。
自分が世界中の誰よりも一番
親不孝な娘だと思わずに済むから。
母が死んだことで
母に優しく出来る。
母を思いやれる。
酷いばかりではない
優しいところもあった
自分の一面を思い出せる。
わたしの罪は消えなくとも
悲しみよりも
心がほっとしたことの方が
大きかったことも思い出すのです。
どんなこともこの世の経験。
憎むことでなんとか
自分を保っていたあの頃。
最期、憎しみを使って
わたしを離してくれた母に
今では感謝をしています。
経験と想い出を
自分の宝として
わたし自身に優しく
生きていきたいと思うのです。
あー
ピザ食べたい。。
カレー食べたい。
愛する人がいなくともお腹は空く。
お腹が空く当たり前の事が
今はただしあわせなのでした。